着物を着たい!と思って、あれこれ調べだすと、必ず出くわすのが、
この「粋」
という言葉。
一部の呉服屋さんなどが、初めてのきものを買う人に、
男の着物=粋でなければならない、
といった様な発言をしてしまい、それが
男のきものの「障害」になっているような気がします。
その中身は、「裏地に凝る」「帯に凝る」とか、「襦袢に凝る」等
といった物が多い傾向があるような気がし、
そのあたりがちょっと誤解してるのでは?と思います。
「粋」というのは、必ずしも「お金をかける」と言う事ではありません。
お金をかけずにちょっとした工夫が「粋」ということもあります。
もちろん、そう言った所に凝るのは、悪いとは思いませんし、
私個人もそういう物に凝るのも良いかな?と思いますが、
「最初の着物」の時から「粋」(のようなもの)に必要以上にこだわると、
はっきりいってお金ばっかり掛かってしまい、
「ああ、結局男の着物って、金持ちの道楽なんだな」と思われてしまいます。
最初は簡素でも、「凝りたい!」と思った人は、
言われなくても次から自分でどんどんハマっていくものではないでしょうか。
第一、粋と言う物は自分で目指す物ではなく、他人から
「おお、粋だね〜!」と言われるような物が、最高の「粋」で、
自分から粋になろうと頑張るのは
逆に「野暮」って物ではないでしょうか?
もうちょっと男の着物を「粋でなくてはならない」という呪縛から開放させて、
自由に、適当に、そして無難に着てもいいのではないでしょうか。
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